我がマジック道①

(サブタイトル:【 新たな「マジック観」と「構築論」】)


 お久しぶりである。

 

 皆様は「MTGアリーナ」を心待ちにされているところだろうが、最後に“降ろし損ねた荷"(三月の時を経た大会レポートはその先駆けである)を降ろし、数年に及んだMTDライフのまとめとしていきたいと思う。


 おそらく10項程度になると思うが、読み物として楽しんで頂ければ有難い。

 


 本題に入る前に、「なぜ休止していたのか」を話さなければならないのだが・・・


 理由は特にはない。


 と言ってしまっては話が続かないわけで、あえて理由を探すとすれば「デッキをつくれなくなったから」であろうか。


 【イゼットコントロール】が100戦勝率8割を達成し(あれは正確には私のデッキではないのだが、違いは僅か数枚だけのことなので結果に大きな差異はないだろう)、一応の最適解が示されてしまったところに更新停止の発表、それに伴うモチベーションの低下…が主たるところなのだろう。


 確かに、現状のカードプールでもまだまだ新しいデッキをつくることは可能だった。

 しかしながら、当時の私にはどう頑張っても【イゼットコントロール】が持つポテンシャルと安定性を超えるデッキをつくることができなかったのだ。


 「新しいデッキをつくることができない」


 カードゲームというジャンルにおいては致命的な問題である。

 少なくとも、私の中ではそうだった。


 そして、あえなくそのままフェードアウトとなってしまったわけなのだが・・・転機は数年ぶりに日本で開催された「PT京都」、そして先の「日本選手権」である。プロプレイヤー達が凌ぎを削った2つのイベントを通して、これまでのマジック観を見つめ直し、新たなマジック道の道標を得ることができたのだ。


 それについて、これからお話していきたいと思う。



◆ 楽しいを追求する


・「カジュアルマジックの醍醐味は、好きなカード・好きなデッキを使って勝つことができるところですね」

 

 これは某プロの言葉であるが、まさに至言である。

 

 プロマジックであれば、「勝つこと」が最優先される。少し前に環境を支配していたクソデッキ『霊気池の驚異』をどれだけ嫌っていたとしても、それが最適解であるならば、プロである以上勝つために使わなければならない。

 

 しかし、我々は違う。

 勝つことは二の次にして、「面白いデッキ」を選んで使うことができる。とはいえ負けっぱなしだと面白くはなくなってしまうのだが…そうだな、一進一退の面白いゲームができて、半分ぐらい勝てれば上々ではなかろうか。


 以前の私は、知らず知らずの内に勝つことにこだわりすぎていたのだ。

 だから、デッキをつくることができなかった。

 

 「勝つことよりも楽しさを追求することができる」

 「結果よりも内容にこだわることができる」


 これが、MTGではなくMDを選択する大きな理由の1つであるはずなのに。



◆ 幸福感


 楽しいをより具体的に言えば、「幸福感」ということになる。

 マジックには、この幸福感をくすぐるカードが散りばめられている。


●「+1/+1カウンタ―を乗せる」

 育てるのが好きだ。

 《巻きつき蛇》はその効果を2倍にし、《歩行バリスタ》《牙長獣の仔》などと組み合わさった時の幸せ具合は格別だ。



●「エネルギーを溜める」

 溜めることも好きだ。

 「エネルギー」はその典型で、《蓄霊稲妻》は打つだけでなんだか幸せになれるスペルである。かつて自分に打っても幸せになれる除去スペルがあっただろうか、加えて後半には大きなクリ―チャーも撃ち落とすことができる。


 間違いなく、カラデシュグッドデザイン賞である。



●「カードを引く」

 カードを引くのが嫌いな人はいないだろう。

 毎ターン平等に訪れる小さな幸せドローステップ、それに加え別途「カードを引く」効果をもたらしてくれるカードはいいカードだ。 


 これらが「小幸せ」ならば、《不屈の追跡者》と《ならず者の精製屋》は「中幸せ」である。

 前者は「土地を置いて手掛かりを出す」「手掛かりを生贄にしてドロー」という2アクションを、後者は「エネルギー」と「ドロー」を同時にもたらしてくれる。彼らは小さな幸せを2回運んでくれる、幸せブラザーズなのだ。


 それでは「大幸せ」は何なのか?と問われれば、それは「大技」だ。

 例えば、往年の名カード《残酷な根本原理》。


 幸せには限りがあり、ゲームがそれを奪い合うモノである以上、あなたが幸せになっている間、画面のむこうで不幸を享受している対戦相手がいるはずだ。


 だが、「大幸せ」は違う。

 対戦相手からも思わず「参ったな」という笑みがこぼれ、速やかに次のゲームへと誘う。両方が幸せになれる可能性があるのが「大幸せ」なのだ。サプライズを演出するためにスペルであることが望ましく、あまり使用されないマイナーなカードであればなお素晴らしい。



◆ 不快指数


 これら「幸福度の高いカード」だけでデッキを構築することができれば最高なのだが、マジックには「不快指数の高い」カードもある。


 筆頭は《密輸人の回転翼機》だろう。

 このカードの問題点は、悪名高い『コピーキャット』とよく似ている。対処するには概ね2マナが必要になるのだが、「相手のマナが起きている時は起動せずに後続を追加する」ことを選択できるため、結局のところ対戦相手は《密輸人の回転翼機》の攻撃を甘んじてうけつつ自らの展開を優先させるのが最善手、ということになってしまうのだ。


 除去用のマナを残しつつアクションできるようになるのは通常4マナであるため、「先手2T《密輸人の回転翼機》」が実現していれば、6点のダメージと2回のルーターが発生していることになる。MTGでの禁止は至極当然、未だリーガルであるMDではアーティファクト対策が薄いため凶悪さはさらにあがるのであるが、強すぎるが故に入れざるを得ないという困ったカードである。


 ちなみに、過去の100戦記録を見返していると、内容欄の1/4が「2Tコプター ⇒ ビートダウン」と記載されている回もあり、改めてぞっとした。


 軽いPWも不快指数が高い。

 3マナともなれば最悪で、《ゼンディカーの代弁者、ニッサ》も中々だが、筆頭は間違いなく《最後の望み、リリアナ》だろう。


 このカードに書いてあることは、実質「(1)(黒)(黒):[待機5]ゲームに勝つ」である。

 出てくるゾンビトークンがネズミ算ってなんぞ?

 ・・・明らかに何かがおかしい。


 さらにタチの悪いことに、やられているほうは大体負けることを悟りながら何ターンもゲームに付き合わなければならず、勝ったほうも「3T《リリアナ》で申し訳ない」という気分になる。双方ともに幸せになれないカードは「悪いカード」である。


 マジック界の路地裏から落書きすれば、「ゲームエンド級の奥義」は必要ないのではないか。そんなゲームを望んでいるプレイヤーは少なく、「大幅に力が衰えたはずの新世代PW」が1人で世界(ゲーム)を終わらせるだけの力を持つというのは、ストーリーラインにも合っていない。



 長くなったので初回はこのぐらいで。

 後編は次回。

 ご覧頂きありがとう。


φ(-_@) 百人組手の人

Magic Duels 百人組手

マジックデュエルズ実践ブログ

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